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『当事者の時代』佐々木俊尚物書きとしての決意を感じる一冊

遅ればせながら、佐々木俊尚さんの『当事者の時代』を読みました。新書にしては分厚い本ですが、僕にはとても面白く、一気に読み終えました。読了して思ったのは、これは著述者・佐々木俊尚の宣言だ、ということです。

佐々木さんがこの本を書く(書かねばならない)と思った出発点には、 “世の中に向けて何かのメッセージを発するためには、どのような態度で臨むべきか?”という問いがあるのだろうと思います。これは何も著者自身が元新聞記者で、マスメディアの発信者側にいたから感じたことではなく、たぶんご本人が、一個人として、“発言することと、その責任”について考え続けているからでしょう。

そういう意味では、本書の中で取り上げられる、新聞メディアや市民団体、左翼などは単なる“事例”であり、“当事者の立場から語ることの困難さ”を説明するために、自ら体験した実例が必要だったのだと思います。

本書の重要なキーワードである『マイノリティ憑依』は、そうした困難さを佐々木さんなりの言葉で言い表したものでしょう。『マイノリティ憑依』とは、「オレの方がアンタよりも、もっと持たざる立場から発言しているんだから普遍的なんだ」と思うことによって、安易に発言する心地良さを得てしまう問題を言い表したものです。これは本当に難しい問題ですね。我々はともすると、自分以外の誰かの立場を代弁するような発言をして、正しいことを言った気になってしまう。(いま「我々」と書きましたが、「どの我々なの?」と聞かれたら困ってしまうのは僕だけでしょうか?)

400ページを超える記述を通して、こうした発言することの困難さについて書き連ねています。発言すること(本書の場合は、書くこと)の困難さを、こんなにしつこく書き抜いたその姿勢に、佐々木さんの物書きとしての決意を感じました。

欲を言えば、ソーシャルメディアに関連する部分が、やや薄かったことでしょうか。誰もが何のハードルもなしに情報発信できる世の中になった今こそ、発言するということの責任の引き受け方を真面目に考えた本書は価値を持つと思うので、もう少し突っ込んだ内容でもよかったかもしれません。でも、そうするともっと長くなっちゃいますが(笑)。もしかしたらご本人ももっと書きたかったのかもしれませんね。いずれにしても、佐々木俊尚という物書きが、この宣言を踏まえた上で、今後どんな著作を上梓するのかが楽しみです。

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